そもそもも、そも、四方山話③

私の父と母は、田舎育ちである。

母の実家は、農家を営んでいるからなおのこと
隣の家まで数百メートル。周りは畑だらけの何もないところにある。
たまに行っては、色々な作業を「お手伝い」と称して教えて貰ったが
農家の仕事は嫌いではなかった。

父の実家は、今思えば一体「何屋」だったのか…
私が小さい頃ですら、全校生徒10名くらいの小学校しかないような
かろうじて集落と呼べるようなところで
すでに何もしていなかった。(と、思う)
昔は商店とか、お魚屋さんとかやって、まぁ、何でも屋さんみたいなもの。と
祖父については教えて貰った気がするが、未だによくわからない。
家は傾いて、2階の屋根が電柱に少し食い込んでいた。
2階で寝るときは、ちょっとだけ工夫のいる、なんとも愛嬌のある家だったと思う。
両親が共働きだったからなのか、小学生時代の長期休みのほとんどを私はそこで過ごした。
屋根も壁もないプールに毎日通ってはアブに追われ
とても大きなゲンゴロウと泳いだり
管理人さんが立派なクワガタを見つけては、お茶っ葉を捨てる缶に除けておいてくれた。
カマの使い方も研ぎ方もそこで覚えたし、その辺で掘ったミミズで川釣りもした。
すぐ近くにはキノコの採れる山があって
秋には家族総出で山に入って樽何個分ものキノコを採るのが年中行事だった。
お正月の百人一首も、大筆を使った書初めも、そこにある当たり前が、私には特別だった。

そんな幼少時代を経て
それでも私は、何でも近くにあって、北海道では一番便利で一番大きな都市で育った。
26年間、そうして育った一応都会っ子の私が
結婚を機に、人口5千人くらいの町に突然引っ越したのだから、なかなかに衝撃だった。

友達も知り合いも誰もいないはずなのに
なぜか、私の事を知っている人がたくさんいて
犬の散歩をするだけでも、自分が自分として存在させられる感じは、田舎特有の空気感だ。

地域柄なのか、遠い親戚も含めて、「親子」という呼び方があって、
こちらは全く知らない方から、親子なんだという説明を聞かされる事が多発した。
親の親の、兄弟の結婚相手の兄弟の子の子…も皆、「親子」と呼ばれるのだから
結果的にこの町の人は皆「親子」なのである。
それがどういう事なのか、当時は全然わからなかったが
私がどんな人間か。よりも、私がどこの誰と親戚関係にあるのか。は
この町の人にとっては、大切な事らしいことは、この15年でなんとなく心得た。

26年間、育ててきた「私」と「私の中の常識」は脆くも儚く散りえて
しばらくは働く気などおきなかった。
そんな不慣れな状況を良いことに、しばらくは遊んで暮らした。
海で釣りをしては、山で山菜を採って、冬は相変わらずスノーボード三昧。
幼い頃の記憶と経験が、ここにきて役に立ってばかりの日々で、なんだか有難かった。

そんな風にして
なんとかこの町になじんできた頃、子供ができた。
やっと少しだけ、社会との繋がりが戻ってきたような感覚だった。

その頃、カメラを新しくした。
子供が出来ると、必然的に皆、フォトスタジオや写真館に目を向けだすが
私もその中の一人でありながら
その価格たるや、なぜこんなにも高額なんだろう…と不思議で仕方なかった。
そこに技術も経験も含まれての値段と思えるなら相当なのだろうが、
どうしても腑に落ちない。
「撮影料無料」とすら書かれているあたりで、
撮影技術ではお金を取りません。というのだから
私は一体「何」がしたくて、「何」に価値を見いだし、「何」に対して「対価」を支払うのか。
少し難しく言っているが、つまるところ
『こんなに高いお金払うくらいなら、
これから一生分の記念を私が写真で残すから、私に良いカメラ買って!』
と、なった訳である。
単純に、新しいカメラを手に入れるための口実だったのかもしれない…と思えなくもないが
おかげ様で、知識はある程度ある。
あとは機材と経験なのだから
これからゆっくり子供たちを向き合っていけばいい。そんな風に思えた。

そうして、子育てと家族の写真をひたすらに撮り続ける日々がスタートした。

 

つづく

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