カメラマンのお仕事、2年目のはなし⑦

わが家の旦那様は、小学5年生である。

何を言っているのかと思うかもしれないが
「見た目」以外は、小5男子そのものなのである。

「楽しい」とか
「美味しい」とか
「やりたい」とか
「やりたくない」も
とにかく感情がとても直感的で、そこには「理屈」というものが存在していない。

楽しいと思うことは全部やってみたいし
美味しいものは何でもたくさん食べたいし
やりたい事は我慢できないし
やりたくない事はがぜん先延ばしにする(もしくはやらない)
とにかくわかりやすい人だ。

お願いした事は何でもやってくれるが
どうして私がそれをお願いしているのか。とか
それが出来たら、きっとこうしたいんだろうな。とか
そこに至るまで、またその先まで「解」が広がっている私を全無視して
お願いされた事だけを5~6割くらいの雰囲気でこなす。
しかも、本人はそれを「全力」だと言い張る。
(自発的にやりたい事ではないので本当に本人に悪気はない)
(だからこそ悪意なく聞いて欲しいのだが)
そんな可愛い人である。

文字にすると
なかなかにけったいな人だが
でも私は知っていて、
私にはそのくらいでちょうどいいのだ。

石ころをたくさん広げて
一気に10基のピラミッドを作ろうとする私の脳内と
それに反して、
新聞紙をくしゃくしゃに丸めたような
こんがらがった毛糸玉みたいな私の感情を
ドドーンとぶちまけても
彼は、ひとつひとつを深掘りするようなことは決してしない。

というよりは、
何か言っているけど、良くわからない(興味がない)し
とりあえずうんうんと聞いては
何となく思った事を答える。

しかも、シンプルに。
そして、ポジティブに。

10基のピラミッドも、作りたいなら作ればいいし
毛糸玉がこんがらかってても、決して解こうとはしないのだ。
作ってみたら、答えが出るし
絡まった毛糸玉は、解けたところから使えばいいと教えてくれる。

私は
溜まったものを、ただ換気のように吐き出すので
ただただ、少し窓を開けて新しい空気を入れてくれるような
彼の曖昧さと適当さと大雑把さを、とても気に入っている。

私が吐き出した黒い煙に
正しい道を諭すようなやり方は得策ではないのだ。

 

そんな彼が
私の向けた矛先に出した「答え」はこうだ。

とりあえず今回は
ぜんぶ断らずにやってみたら?
その為の応援はいくらでもするよ。

何も解決していないようにも思えるが
なぜか、すんなりと腑に落ちた。

多分、
「今回は」という「期限」がほんのりと追加されただけで
心なしか、気持ちが楽になったんだろう。
どんなに慌てふためいたとしても、ぜいぜい2か月くらいのことだ。

どの道、頑張るのは私なのだが、
出来なくなっていく、家事や子供たちのことは
「応援」というかたちで、彼が請け負ってくれるのだろう。
この秋くらいは乗り越えられそうである。

結局は、何かひとつ
動くための「動機」が欲しかっただけなのだ。

日常を非日常にするための「動機」
新しいことに挑戦するための「動機」
変化していく事を楽しむための「動機」
自分に付加価値をつけるための「動機」

頑張るための「動機」が欲しくて
それが私の「原動力」で
私が一番応援して欲しいのは、きっと「そこ」なのだ。

彼の言う「やってみたら」は
私には大切な原動力なのだと気付いた。
自分の「やってみたい」以上にきっと、私には必要な言葉なのだ。

アンさんの「有名になりたい」
旦那さんの「やってみたら」
あともうひとつくらいあれば無敵だな…などと思いつつ

心が決まれば
あとは楽しむだけである。
どんなに忙しくても、楽しむ気持ちは忘れたくない。
人生、楽しんだ者勝ちだ。

「何」をしたから、楽しいということではない。
「何」をしていても、そこに自らの楽しいをたくさん見つけた人間が
より楽しいと思って生きられるだけだ。
楽しむ準備だけは、いつでも万端である(笑)

 

つづく。

 

 

 

 

追記。

もしも彼が小5男子なら、
かく言う私は、猫である。

ある日、彼の後ろをくっ付いてきて
勝手に居座るようになった野良だ。

自由気ままに出歩く割に
必ず帰ってきては、足元で背を丸め
気の向いた時にだけ膝の上を陣取っては
早く撫でろと喉を鳴らす

今日も彼の手をするりと抜けて
小気味良いリズムで尻尾を揺らし
彼が微睡むころ
ねずみの玩具を投げつける

そんな猫である

そう今
吾輩は、(彼の飼い)猫である

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