カメラマンのお仕事、2年目のはなし⑥

前回、前々回と
少し勢いのある話をしているが、
忘れてはいけないのが、
「カメラマンになりたい訳ではない私」である。
そこは大前提、
カメラマンになりたくない!でも、なりたい!でもなく、
「なりたい訳ではない」というところは、押さえて欲しいのである。
プラスでもマイナスでもない、ゼロの感情である。

本来であれば、
「仕事」をする上で
そんな消極的な事を表立って言うべきではないのかもしれないが
決して消極的ではなく、プラスマイナスゼロ。
ここに存在しているのは、
まだまだ、たった1万円の毎月の返済であって
消極的だとか、積極的だとかの話ではない。

プラスでも、マイナスでもないこの感情を
ありのまま、そのまま、あけっぴろげる事に意味があって
そもそもが、
これは、みなこがやりたい事や思いついた事をやってみたらどーなる?
「みなこの社会実験」であることをご理解頂きたい。

お金儲けをしたい人は、決して真似してはいけない
ゆるゆるで、だらだらの世界だ。

言ってしまえば
新しいパソコンが欲しくて
新しいカメラが欲しくて
新しいレンズも欲しくて
結局、新しい機材が欲しいだけの私が
自分でどこまで手に入れられるかな?という話である。

でも

欲しい物を手に入れる為に、
「写真を撮る」ことを「お仕事」にしてみたら
なんだか、出来そうなことがいっぱいあって、
反省したり、勉強したり、経験したりして、
そうしたら、こんな私でもそれなりに成長したのだ。

0円みなこが
8,000円みなこになって
15,000円みなこまできた。

その「事実」だけは、嘘ではないという『ノンフィクション』である。
(い~きてぇ~る い~きぃてぇ~いるぅ~)

 

さて。
15,000円みなことなったみなこ。
布石としての意気込みは十分なのだが
いかんせん、布石なんてそもそも「石ころ」である。
頭の中が、基本、パズルのような構造になっている私にとっては
頭の中に石ころが数個、転がってるくらいのもので、
頭を振れば、コロコロと音をたてて転げては、
どこか奥の方で、どれがどれなんだか、すぐに見失ってしまいそうである。

「本能」の部分では
意味もわからない、名前すら付けられない、
漠然とした「無」のような感情を抱きつつも
私はそもそも、本能が理性にあまり干渉しない人間である。

ありがたい事に、表向きの私には、毎月の企業案件も入ってきて
仕事が減る気配は全くなかった。
物撮りや、スナップ、weddingの撮影にも呼んでもらえるようになって
新しい撮影にもチャレンジする機会が増えていった。

そんな、ある日。

ふと、このままカメラマンのお仕事が増え続けたらどうしよう…と思うようになった。
普段の仕事もある。
子育ても、ある。
家事だってあるし、自分のプライベートだって、ある。

とりあえず、
頼まれた仕事は何でもやってみよう!と始めてみたものの、
全部断らずに、全部請け負ってきたものの、
秋の七五三シーズンを前に
このままでは手が回らなくなるんじゃないか?という不安が
頭をよぎり始めたのである。

せっかく 私を選んでくれた人の依頼は断りたくない。
それでも わが子との時間も大切にしたい。
しかしながら 普段の仕事を休むにも、限界がある。
気付けば 家の中がだんだんと汚くなってきている。
もちろん 自分の体力にだって限界がある。

どこかで
多少なりとも「今まで」から変化させなければいけないな…と思いながらも
自分が何を優先したらいいのか、良くわからなくなった。

ただ、新しいパソコンを得る為に欲しかった1万円の代償は
一体「何」で、一体「どこ」にシワ寄せがいくのだろう?と…

そもそも、始めた時は、
休みの日に「たまに」ママが居ないだけで、
編集は子供たちが寝てからで間に合っていたから
だらだらとテレビを見たりして過ごしていた時間さえ削れば
新しいパソコンが手に入って、それでちょうど良かったのに
気付けば、休みの日は「けっこう」ママが居ないし、
ごはんも段々と手抜きっぽくなってきているし
トイレは黒ずんでいたり
疲れた~と言葉にする日が増えてしまっている。

私はこの生活を「いつまで」続けるんだろう。

漠然とした焦燥感のような感情の矛先すらよくわからないままに
なんとなく足を留めたくなるようなこの感情の拠りどころは…

もちろん、旦那である。

あぁ、言い方言い方…

もちろん、旦那さんである。

 

つづく。

 

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