そもそもも、そも、四方山話①

ひとつ、どうしても
書き残しておきたい事がある。

そもそも、どうして「佐藤みなこ」なるフォトグラファーが誕生したのか。

その経緯たるや、
私自身、未だに「謎」に思っている。

確かに、ずっと写真を撮り続けてきた。
もう、人生の半分はカメラとの生活をしているから、
必然といえば必然だったのかもしれないが、
私にとっては、晴天の霹靂。
目から鱗、棚からぼた餅、豚に真珠、釈迦に説法…
いや、後半は少し意味合いが変わってくるが、
私の人生で「フォトグラファーになる」なんて予定は
ほとほと微塵もなかった。

まぁ、そもそも人生の予定なんてものを立てるタイプでは決してないのだから
なるようになっただけなのかもしれないけれど(笑)

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とりあえず、勉強は程々にしてきた。
算数が大好きだったから、まっとうに行けば国公立の四大くらいは出ていただろうが
高校で出会った彼氏が「就職する」というから、私も何となく就職した。
今思えば親はたいそうがっかりしたであろうが、
当時の私には、彼のいる世界がすべてだったし、
もう勉強しなくていい。無論そっちのほうが楽しそうだったから、それで良かったのだ。

学校の先生の勧めで
適当に決めた就職先はガソリンスタンドだった。
お給料は悪くなかったし、女の子1人の職場だったから
今思えば、可愛がって貰っていたのだろう。
(確かに売上の良いスタンドではあったが、ただ遊びに来ているような18歳の女の子に
毎月のお給料はもちろんだが、ボーナスも50万近くくれていたのだから
ある意味すごい会社に入ったものだ)
家を出て1人暮らしをしながら、毎日遊んで毎日飲んで、
何の制約もない世界は楽しかった。

それでも、そんな生活は一時。
いつか自分は「公務員」になるんだと思っていた。

小さい頃から、何にもなりたくなかった。
ケーキ屋さんやお医者さんや、農家の人になりたい!
そんなことを言った記憶はあるが、別に本当になりたかった訳ではない。
「何になりたいか?」と問われるから「とりあえずの何か」を提示していただけで
大人になればなるほどに、自分の進路にも迷走していった。
勉強する意味も、何をどう選択すれば良いのかも、
そもそもの動機がどこにも無いのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

それでも
不動産屋さんのチラシが大好きだった。
新築のマンションや戸建ての間取り図を見ては
「あ、ここは使いづらいな。動線を確保しながら、もう少し広々と使えるようにするなら…」とか
「あーこの柱は抜けないのか。それなら…」とか
「この家に住むのは、どんな家族かな…」とか。
とにかく妄想してはワクワクするのが、週末の朝の楽しみだった。
建築士になりたいな…と漠然と呟いたこともあるが、親の耳には届かなかった。

父親のカメラを持ち出しては
写真を撮ったりもしていたけれど、
写真を学ぶとか、写真の仕事をするとか、
「もしかしたらアナタにはクリエイティブな事が向いているんじゃない?」なんて
声をかけて貰えていたなら…と思ったところで、
もちろんそんな選択肢は私には提示されなかった。

自分の「楽しい」とか「好き」を「仕事にする」という事が
我が家では許されていなかったのだと、最近になって気付けたが
当時の私は、当事者であったから、もちろんそんな事に気付くわけはなく、
「自分がどうしたいのか」の前には
親の職業である「公務員」がベストだという擦り込みに
まぁまぁ長いこと縛られて生きていくことになる。
当事者なんてものは、そんなものだ。特に不便は感じていなかった。

さて、そんな私は
「公務員になったら出来ないこと」を今のうちにやっておこう…と思い立ち
水商売なんかもやったのち、無事「公務員」となった。
えぇ、ちゃんと公務員になりましたよ。笑

私にとってそれは、至極当然な事だったけれど、
自分の周りの環境は少しだけ変わった。
夜遊びをするときは、身分を隠すようになったし、
見た目で判断してくるような人には、逆に身分を明かすようになった。
中身の「私」は何一つ変わっていないのに
「ガソリンスタンド店員の私」と「公務員の私」は明らかに違う扱いを受けた。
それは他人だけではなく身内も同じだった。
そこそこまっとうに生きてきた子が
いったん道を踏みはずしかけたが…
なんとかこんとか、また元の道に戻ってきたぞ。万歳!
そんな空気が実家だけじゃなく親戚中を漂っていたような気がする。

「公務員の私」はきっと「正解」なんだろう…
そんな漠然とした気持ちと
何となくの違和感を抱えたまま、
数年後、私は公務員を辞めるのである。
せっかくなった「公務員」を辞めるのであーる。

つづく

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