そもそもも、そも、四方山話④

子育てと家族の記録を撮る日々は
それはそれで、なかなかに大変だった。

というよりも、子育てに日々精一杯で、
思った以上に写真を撮る暇なんてなかった。

とにかく眠れない日々、
まったく自分時間で動けない日々、
それでもやるからにはやりたい自分もいて、
子供服やおもちゃを手作りしたり、帽子も何個も編んだし、離乳食もしっかり作った。
毎日、お散歩にでかけ、たくさん話しかけ、絵本もたくさん読んだし、歌もたくさん歌った。
ながら育児はしたくなくて、
テレビも付けなくなったし、子供が起きている時間には携帯すら見ることがなくなった。

もちろん「楽しい」が大前提あるのだが
母乳じゃなきゃダメだとか、次の授乳までは3時間空けるとか、
今思えば、泣いてるならおっぱいあげれば良いのに、
そもそもおっぱい足りないなら、ミルク足して全然良いのに、
おっぱい飲ませるのにも30分以上かかる事もザラだったし、
当時の私はとにかく泣き止むまでひたすらに抱っこしていたので、
もちろんもれなく腱鞘炎だったし、
おしゃぶりを使う事が悪に思えたり、
頭の型が悪くならないように必死だったり、
育児以外の事をしている自分がダメなような気がして
ごはん食べる暇すら見つけられず、本当に自分を追い詰めていた。

無論、そういう「育児」がしたかったし、
無理をしただけ、結果として返ってくることもあって、
作りすぎず、貯めすぎない、ちょうどいいおっぱいが完成したし
赤ちゃんの睡眠リズムの整っていく様は心地よかったし
わが子の頭の形はまんまるだし(←誰も得しない自己満足w)
好き嫌いもなく、歯並びも良く、風邪も全然ひかず、
良く食べ、良く眠る、環境の変化にも強い、
夜泣きもほとんどなく、人見知りもほとんどない、
本当に「育てやすい子」に、わが子は育った。

めちゃくちゃ「手」も「心」もかけた分、結果は出たと思う。

でも、それが「正解」ではない事も、わかった。

子育てに正解はない。
絶対に、他人が決める正解はなくって、
子と親が心地よく過ごせる事。それが大前提の最優先事項なんだと思えるようにもなった。

子育ての話をすると、
そこから始まる「父親育て」の話もしたいところだが、
それはまた大いに脱線しそうなので、いつかどこかで書けたらいいと思う。

さて。
そんな風にして育児をしながら、ずっと「写真」を撮っていた。
子供も、一人から二人になって、
二人育児の現状に足元掬われそうとか思いながら
世の中の母親達を心から尊敬したし、
走馬灯?いや、年がら年中年末大忙しみたいな状態で
音にするなら、本当に、バタバタバターーーーーーー!という感じで、日々は過ぎていった。

そして、7年が過ぎた頃、
これまでも、これからも、ずっと家族の記録を残すつもりしかなかった私に
ひとつの出会いが訪れる。

カメラも7年経つと、また新しい物が欲しくなる訳で、
人と物の出会いのサイクルは、本当に上手く絡み合って、面白い。

次は、そんな、岐路のおはなし。

つづく。

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP