カメラマンのお仕事、2年目のはなし④

私が小学生の頃、
3つと6つ年上の従妹姉妹が「光genji」が好きだと言っていた。
このグループの中で誰がいい?と聞かれたので「山本くん」と答えたと記憶している。

聖闘士星矢では、なにやらチェーンの使い手のような人が良いなと思っていたし
セーラームーンでは、緑色の人が好きだった。

一応、「この中で誰?」と聞かれれば答えられるし
単純に、あーこの人カッコイイな。と思うことも多々ある。
それは全然多々あって、すぐ妄想するし、すぐキュンして、すぐ好きになるのだが、
この「好き」が私の場合、とても浅い。
簡単に言うと、好きだけど大して好きじゃない状態が「常」である。

だから基本的に
好きになった人に、彼女がいようが妻がいようがそこは全く関係なくて
一緒にいられる時間に、一緒にいられて、一緒にいて楽しければそれで良い。
あとは、相手がどれだけ私に求めるかであって、
逆にいえば、私の絶対領域みたいな物に触れたい人にしか
「常」ではない状況の私は開かれていない。

そんな私なので、基本的になかなか人に憧れない。
というか、憧れられない。というほうが正しい。
常にみんなほとんど好きなのだから、逆に言えばどれでもいい。何でもいい。
芸能人で誰がいい?なんていう大雑把な質問には、なかなか答えられないし
〇〇のファンです!とか、全然なれないし(でも、好きは好きです)
〇〇さん!ずっと憧れてました!ともならないし(でも、ずっと好きです)
〇〇だ!写真一緒に撮りたい!とも、ほとんどならない。(でも、好きなんです)

それが、そもそもの命題である
「お客様の気持ち」と「何」が関係あるのか。と思うかもしれないが
もう少し付き合って欲しい。

そんなだいたい好きだよ。という私でも
年々、歳を重ねてきて、「すごく好き」という感情も持ち合わせるようになってきた。

良くても、悪くても、「好き」なのである。

子供はその最たる存在だし
人でも物でも、種から好きと思えたら、
そこから生えてくる、根も、芽も、葉も花も。
それがどんな未来になるかわからなくても、きっと好きになる。

「すごく好き」自体が、すごく好きになった。

そうしたら、
逆に、今までだいたい好きだと思っていた感情が
実は、けっこう細分化されていて、
この人のここが好き。あの人のあそこが好き。
仕草が好き、声が好き、着ている服が好き、話が好き…
そんな風に、好きなところ探しが好きだったんだと気付かされた。

blogを書くことで
感情が言語化されて整っていく。
そんな副産物的な心地よさも「すごく好き」である。

さて。
前置きがいつも長いんだよな。と思ってはいるが
そんな寄り道商売みたいなことがしたいのだから、仕方がない(笑)

「すごく好き」な物は大抵にして「手間」がかかる。

ひとつひとつ、丁寧に作られていたり
ひとりひとり、大切に向き合ったり
その「手間」には「価値」があって当然である。

その「価値」には相当の「対価」があってよくて
もちろんそれは、「写真を撮る」ということにも同じである。

例えば、UNIQLOで服を買うのに
いちいち、作ってくれた人に感謝する人は居ない。
それは、機械で簡単に量産されていることを知っているからであって
「価格」と「品質」のバランスのスタンダードだからだ。
これが、大手写真スタジオだとしよう。

CHANELやLouis Vuittonのようなハイブランドは
篠山紀信だとか、蜷川実花だとかに該当するとして
(そこは少しだけ違和感があるが、わかりやすさ優先で進めよう)

では、「みなこ」はどこに位置するのか。

ウエアハウス(WAREHOUSE)
エヴィス(EVISU JEANS)
ドゥニーム(Denime)

この辺が好きって書いてみたけど
全然わかりやすくなってない上に、
みなこなんて全然足元にも及ばない。

正直私は
「町の仕立て屋さん」くらいの位置で良い。

良質な物を使って、丁寧に、その人のために仕立てる。
そうして仕立てて貰ったジャケットが
例えば5万円だとして、UNIQLOよりもずっと高価だけれど
ずっと価値があって、私はそんなジャケットが着たい。
そして「価値」に対する「対価」を、
作ってくれた人にきちんと届けたいと思うようになった。

それなのに。

お客様という立場になったとして
「カメラマン登録サイト」では、それが叶わないのである。

つづく

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